【初級公務員】古代ギリシア・ローマ
貴族政治
前800 ポリスの形成・・市民(貴族と平民)と奴隷。少数の貴族が政治。
財産政治
前594 ソロンの改革・・貴族と平民の調停。負債の帳消し。市民の財産額によって参政権・軍務を付与
僭主政治
前561・・ペイシストラトスの登場・・武力で政権
民主政治
前508・・僭主の出現を防止するため、投票制度
前500・・ペルシア戦争 アテネと同盟市がペルシアに勝利→デロス同盟(アテネ中心の軍事同盟) ペリクレスの指導で直接民主制
前431 ペロポネソス戦争・・デロス同盟(アテネ)がペロポネソス同盟(スパルタ・軍国主義)に敗れる。ポリス衰退
ヘレニズム
前334 アレクサンドロス大王の東方遠征。ペルシアを滅ぼし大帝国
ローマ
共和制
前494 護民官・・平民の権利を守る。元老院やコンスルの決定に対し拒否権
前43 三頭政治(アントニウス、オクタヴィアヌス、レピドウス)
帝政
前27 オクタヴィアヌスにアウグストウスの称号 →元首政(共和制の伝統を残しながら帝政を行う)を開始。以後200年、ローマの平和と呼ばれる繁栄
後96 五賢帝時代
235 軍人皇帝時代
284 専制君主制時代
313 コンスタンティヌス帝、キリスト教を公認(ミラノ勅令)
395 ローマ帝国、東西に分裂
東ローマ帝国=ビサンツ帝国
フランク王国が分裂してできた東フランク王国は神聖ローマ帝国と呼ばれ、カール大帝の時に西ヨーロッパをほぼ統一し、西ローマ帝国の復活とされた。
十字軍
前史 11世紀後半、聖地エルサレムがセルジューク朝に占領されたため、ビサンツ皇帝がローマ教皇ウルバヌス2世に救援要請。教皇はくれるもん会議を開催し、遠征を提唱
第1回 聖地奪回、エルサレム王国建設
第2・3回 失敗
第4回 コンスタンティノーブル占領 ラテン帝国建国
第5回 聖地の一時回復
第6・7回 失敗
影響
①聖地回復失敗による教皇権失墜
②諸侯・騎士の没落 王権の伸張
③東方貿易の繁栄 イタリアの海港都市の成長